昭和50年代

 低成長時代に移行 ―業界安定へ製販協調―

 昭和49年の後半から年末にかけて機械工業界の冷え込みは激しく、総じて受注不振に悩み、在庫増加が目立ち、大幅な減産強化を余儀なくされた。一部業種メーカーでは工場閉鎖、人員削減、用地転売、設備計画中止など不況に対応するための諸策がとられた。昭和50年は低成長時代のスタート初年度とも言われ、後半ごろからわが国経済はマイナス成長から安定成長へと移行していく。内需が低迷であったこともあり、輸出に力を入れていこうという姿勢が強くみられた。

 不況から脱出の年

 昭和51年は、不況からの脱出の年といわれた。事実ニクソンショックとオイルショックで崩壊した経済体制の立て直しの年であった。機械工具業界は、年初は低迷していたが、徐々に回復していった。とくに、輸出を突破口としての不況克服等が注目された。しかし、翌年も業界は不況に明け暮れる年となった。
 昭和54年は作業工具が輸出不振によって低迷、年央からやや回復の兆しをみせていたが、再び秋から下降気味となった。切削工具もかげりを見せ始め、全体としても振るわなかった。

 メカトロ時代に対応

国際化が進むなかでメカトロ時代・システム時代が本格化してきた。景気は輸出主導型で推移し、内需は設備投資の伸びの鈍化、一般消費、住宅建設などの面で総じて振るわなかった。機械工具業界では、弱含み横ばいから下半期に立ち直りの気配がみえてきた年だったといえる。

 創立70周年を迎える

 昭和58年は、世界同時不況の影響が尾を引いて年初から景気は低迷し、工作機械などを中心とした貿易摩擦の行方も予断を許さず、波乱含みであった。その中で、メカトロニクス化がかつてなく進展し、FA・OAのいわゆるコンピュータを踏まえた無人化志向本番の年となった。折から大機器協は、その前身までさかのぼると、70周年目を迎えることになった。その後、平成2年7月9日には「大阪機械器具卸商協同組合」に改称し現在に至っている。
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